エイール・リンデマン (Ayal Lindeman)

スプリング・バレーの救命士が日本の被災地や避難所で救援活動を行い、日本の災害時の対応を称賛する

日本で地震、津波、核の危機の3つの災害が発生し、多くの人が避難を余儀なくされた一方で、スプリング・バレーのエイール・リンデマンは、最も打撃を受けた被災地に向かいました。

スプリング・バレーの住民であり、ハイチやメキシコ湾岸で活躍した54歳の緊急救助隊員が、10日間の救援活動の後、金曜日に帰国しました。

火曜日、リンデマンは、世界中に放送された被害の大きさを目にしてきたと、電話で話しました。

「4階建てのビルの屋根に車が乗っている写真がある。津波があそこまで達したんだ。」

認定看護師、そしてスプリングヒル救急隊に属するボランティア緊急救命士が、サイエントロジー教会の35人のメンバーと共に東京へと飛行機で飛び立ちました。彼は、サイエントロジー教会ではボランティア・ミニスターとして活動しています。

このグループは、援助物資を大量に詰め込み、日本の東北地方の仙台市近郊の被災地へと運びました。

到着するやいなや、日本の関係当局者と協力し、津波で家を失った被災者のために設置された五百人収容の避難所のスタッフを援助しました。リンデマンは、日本人が持つ、回復から立ち直る力や、緊急時への備えに心を動かされた、と述べました。

「そのような対応を今までに見たことがない」と述べ、日本の自衛隊の対応の速さを、2005年のハリケーン・カトリーナの時にメキシコ湾岸で、遅い、非効率な作業を行った米連邦緊急事態管理局と比較しました。最後に、リンデマンは、約56キロ南の、津波の被害を受けた福島第一原子力発電所へと向かいました。「ガイガー・カウンターを持って行ったよ。安全でいたいからね」と彼は言いました。

火曜日、日本はその核の危機を、国際的規模で最も高い危険性(1986年のチェリノブイリの大惨事と同じレベル)になる可能性があると分類しました。というのも、原子力発電所の放射能漏れが続いていたからです。

それと同時に、政府は、3月11日に津波が発電所を飲み込んだ直後の避難命令の地区を、20キロ圏に拡大しました。

この記事は、AP通信社により提供されました。

(続く)