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東日本大地震

0:00 大津波は岩井崎の美しい松の木もなぎ倒していきました。

0:12 その大津波でもびくともしなかったのが、第九代横綱秀の山の銅像です。

0:24 その秀の山の子孫が、地元の避難所でボランティア活動を行っています。

サイエントロジー・ボランティア・ミニスターが日本の地震と津波の被災者に救援活動を提供

マグニチュード9の地震と10メートルを超える津波が発生した直後からこの2カ月の間、数多くのサイエントロジー・ボランティア・ミニスターたちが、日本で活動してきました。現在、数百人以上のボランティア・ミニスターたちが、引き続き活動を行うため、東京、女川、気仙沼、石巻に向かっています。災害発生後24時間以内に、ボランティア・ミニスターの調査チームが、最も被害が大きかった地域に到着し、その地方自治体の担当者に会い、何が必要とされているか、何が求められているかを聞きました。避難者は40万人以上に上り、災害対策本部が東京に設置され、ボランティア・ミニスターによる援助の提供が調整されました。ロサンジェルスのボランティア・ミニスター国際本部は、即刻、ロス・トポスと呼ばれる15人の捜査救助専門家チームを日本に派遣しました。ロス・トポスとボランティア・ミニスターは、ニューヨークの世界貿易センターの爆破、ニューオリンズのハリケーン「カトリーナ」と「リタ」による大被害、ハイチとニュージーランドの地震の時も活躍しました。到着後、ロス・トポスは日本の自衛隊に協力して、生存者を助けるために捜査救助活動を開始しました。

気仙沼漁協の復興を支援

サイエントロジーのアシストを提供しました。

ボランティア・ミニスターは、気仙沼漁協の猟師96人にアシストを最近提供しました。気仙沼市の主な産業は漁業なので、漁業組合のメンバーの回復は、気仙沼市の復興に繋がります。 組合長が、アシストを受けた最初の人でした。アシストを受けて非常に元気になった彼は、明日も来て、漁協の全員にアシストを与えてほしいと、ボランティア・ミニスターに要請しました。4月16日、ボランティア・ミニスターは漁協の会合に出席し、メンバー全員にアシストを提供しました。その後の会合では、全員がリラックスし、いつでも仕事に取り掛かれる、元気いっぱいな人々になっていました。

中学生が感謝を表明

気仙沼市のサイエントロジー・ボランティア・ミニスターは、気仙沼市の中学校の生徒たちから自転車会社の社長へ、感謝の意を表した特別な色紙を贈りました。 気仙沼市の道路や公共輸送が津波によって破壊されたため、病気や怪我の人、または高齢者に食物や必需品が届けられていませんでした。サイエントロジーのボランティア・ミニスターの災害対策チームは、自転車会社の社長に、救援活動として自転車を提供すれば、中学生たちが自転車に乗って、最も必要とされているものを困っている人々に届けることができると交渉しました。 その自転車会社は提供することに賛成し、今月の初め、32台の自転車、ヘルメット、プロジェクト用のバッグを寄付しました。 ひとたび中学生たちが必需品を届けると、彼らは、津波で車を破壊された被災者に自転車を寄付しました。この贈り物に感謝した人々は、再び自分たちでやっていけると喜びました。 自転車会社の社長は、この感謝の色紙に心を打たれ、従業員と共にそれを分かち合うことに真剣になり、仙台の被災者に自転車の寄付を続ける予定です。

美味しいスープとアシスト:東京本部からの報告

ボランティア・ミニスターたちは、毎日避難所で多くの人々にアシストを与えています。アシストは、L. ロン ハバードが開発した技術であり、ストレスやトラウマからの解放を速めます。

サイエントロジー・ボランティア・ミニスター東京本部からの報告:女川町、石巻市、気仙沼市において、今日だけで、2,673人の人を助け、219のアシストを提供しました。私たちは活動範囲を広げ、まだ訪れていない地区の被害や避難所の状況を調べています。それと共に、アシストの提供を続け、できる限りのことをして被災者を助けています。石巻市のある避難所の所長は、ボランティア・ミニスターからアシストを受け、楽になったことを大いに喜び、自分でアシストを提供するにはどうしたら良いかと私たちに尋ねました。彼は自分のボランティア・ミニスター・グループを結成することになりました。彼と彼の友達の数人は、そのやり方を学び、お互いにアシストを提供し始めました。今朝、気仙沼市の避難所に行ったとき、数人の避難所の人たちから、「おはよう」と温かく迎えられました。彼らは、数日前より、はるかに元気になっているようでした。私たちの到着がスピーカーで避難所全体に伝えられました。アシストを受けられない人がひとりもいないようにするためです。数人の被災者が、避難所の食事は薄い味噌汁、白米、野菜だけで味気ないと、ひとりのボランティア・ミニスターに訴えました。

助けるためにそこにいる: 気仙沼市でボランティア・ミニスターとして活動する吉田大門

る吉田大門

大震災の数日後、日本の東北の気仙沼市で救援活動をするために東京を出発しました。これは彼の個人的な物語です。私は、数日間、気仙沼市に留まりました。私は自分の仕事を休み、長期間被災地に留まるボランティア・ミニスターになりました。震災後の荒廃がどんなに広範囲であるかを見てショックを受けました。海沿いの地域は完全に破壊されていました。私は地図を持っていましたが、全く役に立たず、地図でガソリンスタンドがあるところには、何もありませんでした。私は歩いている地元の人にある場所を尋ねました。「うどん食堂だったらしい場所を通り過ぎると、郵便局だったらしいものが見えてくるから、その角を曲がって…」つまり、そこは完全に破壊されていました。私は、小さなトラックに必需品を大量に積んで、運転して行きました。私はとても不安でした。というのも、道に大きな穴が開いていたり、破壊されていたりして、安全に運転できるかどうかわからなかったからです。私は気仙沼市に着き、被災した家々へと向かいました。ライフラインが断たれた後でも、自分の家に残っている人たちがいました。

隣国の台湾からボランティア・ミニスター:救援活動のため日本に到着

台湾のボランティア・ミニスターたち: 東京に向かって離陸する前の高雄空港にて。

2011年4月13日

4月10日、10人の台湾のボランティア・ミニスターが、日本での救援活動のために成田国際空港に到着しました。

彼らは、東京本部のボランティア・ミニスターのチームの歓迎を受け、現地の様子の説明を聞き、昨日、女川地区に向かいました。

台湾チームは、現在、女川地区のサイエントロジー・ボランティ・ミニスターと協力し、アシストを与えるなど可能な限りの援助を行っています。

台湾チームには、災害救助に慣れたベテラン・ボランティア・ミニスターたちがいます。彼らは、台湾で洪水が起きた時に活躍し、ボランティア・ミニスターの技術についてセミナーを開き、被災者にアシストを与え、その地区の瓦礫を取り除きました。

サイエントロジー・ボランティア・ミニスターとニューヨーク市スプリング・バレーの救急救命士

エイール・リンデマン (Ayal Lindeman)

スプリング・バレーの救命士が日本の被災地や避難所で救援活動を行い、日本の災害時の対応を称賛する

日本で地震、津波、核の危機の3つの災害が発生し、多くの人が避難を余儀なくされた一方で、スプリング・バレーのエイール・リンデマンは、最も打撃を受けた被災地に向かいました。

スプリング・バレーの住民であり、ハイチやメキシコ湾岸で活躍した54歳の緊急救助隊員が、10日間の救援活動の後、金曜日に帰国しました。

火曜日、リンデマンは、世界中に放送された被害の大きさを目にしてきたと、電話で話しました。

「4階建てのビルの屋根に車が乗っている写真がある。津波があそこまで達したんだ。」

認定看護師、そしてスプリングヒル救急隊に属するボランティア緊急救命士が、サイエントロジー教会の35人のメンバーと共に東京へと飛行機で飛び立ちました。彼は、サイエントロジー教会ではボランティア・ミニスターとして活動しています。

このグループは、援助物資を大量に詰め込み、日本の東北地方の仙台市近郊の被災地へと運びました。

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