マグニチュード9の地震と10メートルを超える津波が発生した直後からこの2カ月の間、数多くのサイエントロジー・ボランティア・ミニスターたちが、日本で活動してきました。現在、数百人以上のボランティア・ミニスターたちが、引き続き活動を行うため、東京、女川、気仙沼、石巻に向かっています。

災害発生後24時間以内に、ボランティア・ミニスターの調査チームが、最も被害が大きかった地域に到着し、その地方自治体の担当者に会い、何が必要とされているか、何が求められているかを聞きました。避難者は40万人以上に上り、災害対策本部が東京に設置され、ボランティア・ミニスターによる援助の提供が調整されました。

ロサンジェルスのボランティア・ミニスター国際本部は、即刻、ロス・トポスと呼ばれる15人の捜査救助専門家チームを日本に派遣しました。ロス・トポスとボランティア・ミニスターは、ニューヨークの世界貿易センターの爆破、ニューオリンズのハリケーン「カトリーナ」と「リタ」による大被害、ハイチとニュージーランドの地震の時も活躍しました。到着後、ロス・トポスは日本の自衛隊に協力して、生存者を助けるために捜査救助活動を開始しました。

ほぼ2カ月の間、世界中から集まった140人以上のボランティア・ミニスターたちは、気仙沼、仙台、亘理、女川、石巻で、食糧、水、必需品などを届けるために配給センターで働き、避難所を救援し、破壊された町や村のがれきの撤去作業を行うなどの活動を行ってきました。

ボランティアたちが救援した人々は14万人以上に上ります。彼らはサイエントロジーのアシストを提供しています。「精神的な応急処置」としばしば言われるように、アシストは、喪失感、ショック、トラウマなどの影響から立ち直るようにし、病気や怪我に伴う精神的、感情的要素を処理するので、その人の回復を速めます。

アシストが提供されている避難所では、「このような時に、こんな素晴らしいサービスを受けられることが信じられない」、「地震の時のショックが消えた」などの声が聞かれることは珍しくありません。

自分が経営していた旅館が津波で流され、悲しみに沈んでいた人がアシストを受け、最後には鼻歌を歌いながら立ち去りました。彼はできるだけ速く再建するつもりだと、ボランティア・ミニスターに語りました。

今までに、ボランティア・ミニスターは1万2千のアシストを提供し、1千4百人にアシスト技術のトレーニングを行い、階上市議会議員が「あなた方のサービスは、日本のどこにもない重要なサービスだ」とボランティア・ミニスターに語りました。

女川町災害対策担当の役人は、サイエントロジー災害対策チームの救援に対し、感謝の意を手紙で次のように伝えました。「私は多くの災害犠牲者が、L. ロン ハバードが開発した‘アシスト’と呼ばれる技術をこのグループから受けた後、気分が良くなった、楽になった、身体の痛みがなくなった、この災害のトラウマが消えた、と言っているのを聞きました。」

ボランティア・ミニスターは、地元のボランティア組織のリーダー、災害救援グループ、政府担当者たちとコミュニケーションを保ち、協力して活動を続け、最も必要とされ、求められているサービスを提供することを確実にしました。

遠く離れたお年寄りは避難所まで来ることができず、食べ物をもらえないことが明らかになり、ボランティア・ミニスターは、32台の自転車を階上町に寄付し輸送する手はずを整えました。今では、このような人たちに生活物資や食べ物を届けるために、地元の青年たちによって使われています。

気仙沼漁協から、フォークリフトがないため漁業を再開することができないとの報告を受け、ボランティア・ミニスターは、フォークリフトの寄付と輸送の手はずを整えました。

ボランティア・ミニスターは、毎日、公共浴場へと被災者を運んでいます。彼らは、避難所の生活水準を上げ、元気を出してもらうために、音楽コンサートを計画し、美容師を送る予定です。

ボランティア・ミニスターは、赤十字、宗教グループ、防災安全推進機構、非政府組織グループ、民間グループ、企業の民間部門、気仙沼青年商工会議所などのグループと連携を取って活動しています。

ボランティア・ミニスターの災害への対応は、日本において必要と見なされる限り続けられます。

サイエントロジー・ボランティア・ミニスターのプログラムは、1976年、サイエントロジーの創設者、L. ロン ハバードによって開始されました。現在、ボランティア・ミニスターの技術トレーニングを受けた人々は、185カ国にわたり数百万人います。